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2月, 2019の投稿を表示しています

最終日

二月最終日です。 二月を振り返ると、集中力が途切れがち、いろいろな反省が多く、 でも、一方ずっとやってみたかった企画が実現して嬉しい月でもありました。 三月は、今年度最後の年。 しっかり締めくくりたいです。 そしてやってみたいことの種まきをしていこうと思います。

ユディタ トリオンファン

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ヴィヴァルディのオラトリオ ユディタ・トリオンファンに関して師である、マルコン氏のインタビューです。(英語) この曲は私がバーゼルの学校に入学した年にマルコン指導のもと、学生のオーケストラで演奏した思い出の曲でもあります。 厳密なオーケストレーションの指示がなされているのですが、すべての楽器が揃い、しかも上質な演奏ができる環境(それも学生で)。今思えばなんとありがたい場所だったのでしょうか。

大学の思い出

春分から始めた「2月毎日ブログ更新目標」も終わりが見えてきました〜♪ 今日は大学時代の親友がおめでたのニュースを聞いて、しみじみと学生だった頃を振り返ります。 桐朋学園は兎にも角にも「個性を大切に」をモットーとする学校でした。 個性を大切に、よく言われる言葉のようで、学校をあげて大事にするには今の時代リスキーな観念かもしれません。でも桐朋はそうだったのです。 なので友人たちも先生もみんな本当に個性的でした。 皆、全力投球、とにかく一生懸命だったので、壁にもバンバンぶち当たり、また起き上がっては怪我をする。 そんなかんじのワイルドな学生生活だった気がします。 友人たちにも恵まれ、寄り集まっては悩みを話したり。…確かに悩んでいたはずなのに、笑い転げた思い出しかないのですが。 その中で特に仲の良かった人たちも人生の転換期を迎える人も多く、私の人生もどうなっていくのか、楽しみなような、不思議な気持ちです。

批判の力

ヨーロッパ、特にフランスでは、演奏家は(演奏家に限らずですが)陰でも表でも批判し合っていた気がします。 子供、学生の弾き合い会などでは、年齢に関係なくお互いの演奏について思ったことを言い、小さい頃から批判力を培っているせいかもしれません。 批判を受けると、フランス人だって傷つくこと、腹を立て感情的になることもあります。 でも特に演奏のような世界では、コンクールなどが顕著ですが、人から否定される前提で弾くというしぶとさも必要不可欠です。 その批判の中で、「誰がどう思おうと、自分はこう思う」という主張も生まれてくることもあるでしょうし、ハッと目から鱗が落ちることもあると思います。 批判は、とても技術のいる事で、行う方も受ける方も技を建設的に練り上げていく必要があります。そうではないとただの泥仕合になることもあるかもしれません。 でも芸術を向上させるには、とても大切な要素ではないでしょうか。 他者に向けて、自分自身に向けて、よい批判を行えるようになりたいです。 「左の頬を打たれたら、右の頬も差し出せ」というのは、単に無抵抗の美学を語ったのではなく、ひょっとすると、打たれれば打たれただけ得るものがあるという意味でもあるのかもしれません。

ジェミニアーニ

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三月のコンサートでジェミニアーニのチェロソナタの伴奏をするので、ジェミニアーニの著作をチラチラと見ております。 ジェミニアーニはいろいろと著作を残してくれていて、わかりやすくありがたいのですが、「伴奏の技法」を見ると、ジェミニアーニは豊かなハーモニーを好んでいたことがわかります。 4声、または初期の頃には3声のリアリゼーション(右手の和声付け、ただし声部数は左も含めた数)が一般的ですが、ジェミニアーニは6声がお好きだったようですね。 素敵な伴奏ができるよう頑張ります♪

バヨリンとピアノその後

昨夜は子供たちに、バイオリンとピアノの演奏を聞いてもらいました。 ちょこんと座ってなんてカワイイのかと思いました。 みんな思い思いにリラックスして聞いてくれてよかったです。 これからももっと良い演奏をお届けできるように頑張りたいですし、また機会があればいいなと思います。

バヨリンとピアノ

今日はあるところで、バイオリンとピアノの演奏をお子様に聞いていただきます。 よい演奏ができるように、張り切って参りたいです。 子供たちにいろいろな音楽を聞いてもらう機会を、これからもっと増やしていきたいと考えています。

即興

即興は、バロック音楽には欠かせない要素です。 通奏低音といって、ジャズのコードのように左手の音に数字だけ書かれたものを右手で和声をうまく配置したり、シンプルなメロディに装飾をつけたり、プレリュードを作ったり、ひいてはとっさにフーガも作ってミサで披露してみたりするのも即興の領分です。 最近全く即興の練習をしていなかったのですが、レッスンでインベンションの転調を分析されている方がいて、それを見ているとかつて受けた即興の授業が蘇ってきました。 即興の練習は、書かれた曲を弾くのとは違う脳の回路を使います。 でも書かれた曲を弾く時にも、より深く曲の構造に注意が向くようになりますし、いいことづくめなのです。私も心新たに即興の練習をしよう!

猫村さん

毎日ブログ更新中。 ブログネタがなくて猫の手も借りたいというわけではないのですが、 最近たまたま見つけて気に入っている猫の漫画がありますので、ご紹介します♪ ひたむきで素直な猫村さんに癒されます。 https://casabrutus.com/special/nekomura

ミニ講座のお知らせ

不定期開催のミニ講座ですが、ふと気づけば、一年近く行っていませんでした。 昨年は次から次へとアクシデントがありそれどころではなかったような気がします。 それにしても時が経つのは早いですね。 今回のテーマは 「バロック時代の音楽の特有の表現って何?」(仮) 〜ターリングの「修辞の武器」を読みながら〜 思いつきでタイトルをつけたら長々しくなりましたので(仮)とさせていただきます。 チェンバロ初心者、バロックに馴染みのない方が率直なご意見としてよく仰るのが 「左手と右手が全然違って疲れる」「メロディラインがないから疲れる」 というものです。 全くその通りと思うのですが、バロックは「言葉」に密着しているので、耳に心地よい「歌」とは少し違う違う側面があるように思います。 ベラベラおしゃべりな人たちが多数登場するような感じでしょうか。 そんな曲がどういった発想でできているか、見ていければと思います。 なので、ジュディ・ターリングの著書を用いながらも、深〜い音楽修辞法のうんちくとは少し離れて、簡単に気軽に行いたいと思います。 どうぞご参加ください。 3/下旬 (注!17日としていましたが、練習日の兼ね合いで変更になる可能性があります) 15:15-二時間程度 場所は拙宅または、街中の会場にて。 参加費1500円 お茶付き

400年あっちこっち

昨日、四月のコンサートの楽譜を受け取って、練習すべきレパートリーが、ダウランドからモンティそしてコブクロまでと、なかなか幅広いなあと悦に入っております。 今週はバイオリンとピアノデュオのコンサートがあり、来週からは三月、四月のコンサート種々のリハーサルが始まります。 まずは製本して楽譜を無くさないように気をつけなければ。。

だいたいコンサート前になると、最低一度は悪い夢を見ます。 よくあるのは、「チェンバロが会場に届かないので今日はリコーダーでコンサートを」 と当日言われて焦るパターンなのですが、今日の夢は、さっきまであった楽譜が見当たらず、共演者に場をつないでもらって必死に探すのに、どうしてもなく会場のパソコンから楽譜を出そうとしている間に終演になり、チェンバロを弾かずというもの。。 そんな夢を見るときは、練習が足りていないときなのです。 さあ、頑張ろう。

Ego

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先日頂いたワインは強い個性があり美味しかったのでメモ。 その名も"ego" 社交的ではないけど、芯の強いチャーミングな女性という感じのキャラクターを感じさせます。ちょっとコパチンスカヤを思い起こさせるような? 以前も書いたかもしれませんが、フランス人の友人がいつも「安物にはキャラクターがない。」と言っていたこと、またアメリカ人の先生は「ソノカ、ワインのコンクールで優勝するのはどんなものかわかりますか?それは一番個性のないワインです。」と言っていたことなどを飲みながら思い出しておりました。      手書きのエチケット

海峡を渡るバイオリン

タイトルの本は2002年に初版された、陳昌鉉さんというバイオリン製作者の激動の人生の実話です。 ドラマ化されるほどの作品だそうですが、私は知りませんでした。 家の本棚にあるのを見つけて、ふと読んでみたのです。 祖父母より少し若いくらいの世代の方で、2012年に亡くなられたそうですが、私と同じ時を生きていた人がこれほど劇的な人生を歩まれているのを知って、私の人生のなんと薄っぺらいことかと思います。 韓国に生まれ、14歳で来日してから生活のためにいろいろな仕事をされ、差別に合い、でもバイオリン製作への情熱を持ち続けて、一流の製作者として認められるまでの人生が描かれています。 韓国の政治や文化、日本に来た経緯など、両国間の関係について今までよく知らなかったことも書かれていました。 読んでいて辛くなることも多いのですが、どんな時もどこかポジティブでおおらかな陳さんの人柄も伝わってきます。 陳さんは、桐朋学園とも縁が深く、私が在学していた時にも大学のある仙川にお住まいだったそうで、きっとどこかですれ違っていただろうと思います。 情熱と信念、そして楽観的な気持ちがあればできないことなどないのかもしれません。

神秘のバリケード

クラシック音楽の中でも、とてもポピュラーな曲が時々ありますね。 バロックでは、バッハのイタリアンコンチェルトとか、ヘンデルのサラバンドなどでしょうか。 やはりCMや映画などで使われたことがきっかけなのでしょうか。 フランソワ クープランの「神秘のバリケード」もその一つかもしれません。 この曲は最近ではNHKの番組のBGMにも使用されているのを聞きました。 クープランは曲にタイトルをつけるのが好きで、でもその多くは何を意図しているのかはっきりとはわかりません。 当時の宮廷ではフランス人はダイレクトでない表現や、またはわかる人にだけわかる言葉遊びを好んだためと思われます。 この曲に関しては、以前は「処女の証」なのでは、なんていう解釈も聞いたことがあるのですが、クープランのタイトルの解説書として名高い「人生の鏡」によれば、仮面舞踏会のマスクではないかということです。 ちなみにこの曲を私は、3/23(土曜日)17:00から蕃山町教会のコンサートで演奏します。 ご都合がよければ想像を巡らしながらお聞きいただければと思います。

霊名

毎日ブログ月間努力中。 今日は何を書きましょう。 …思うところがあり、紆余曲折を経てカトリックの洗礼を受けようとしておりますが、 霊名(クリスチャンネームなどとも言われますね)を決めなくてはなりません。 天使や聖人の名前から選ぶのですが、聖人には祝日があって、私の誕生日は「聖パンボ修道士」女性名にも変えにくい男性の名前なのであまり適さないと思いますが、 「舌の罪を犯さぬよう」と沈黙を守り通した人なのだそう。あやかりたいです。 カトリック大国のイタリア人の先生に相談したところ「"キアラ"がいいんじゃない?あなたに合うと思うよ。」と言われて、今キアラの生涯を勉強中です。 ちなみに洗礼を受けると、今までの罪が赦されまっさらな自分として新しい歩みを始めることができると言われています。 最近、反省すべき事由が多いので洗礼式が待たれます。 読んでいる本↓ 聖クララ伝 マルコ・バルトリ著 アルフォンソ・プポ/宮本順子 共訳 サンパウロ 2008年

コパチンスカヤ&レシェンコリサイタル

1/15のことになりますが、今をときめくバイオリニストコパチンスカヤとピアノのレシェンコのコンサートが横浜のフィリアホールであり、たまたま上京していたので、聞きに行ってきました。 その時の備忘録を。 私は前から二列目の上手側の席で、コパチンスカヤの表情がはっきりと見えて、クルクルと変わるそれは本当にチャーミングでした。 表情と同じく、演奏の表現もダイレクトです。 そのダイレクトさは、古楽にも取り組んでいるというコパチンスカヤらしいアプローチと感じました。 古楽においては、音楽を言葉、物語と捉えて、単語の意味に即して音楽を紡いでいくという傾向があると思っています。 なので非常に「具体的」なのです。 コパチンスカヤが弾いたプログラムはプーランク、バルトークのソナタ第2番、エネスクのソナタ第3番、ラヴェルのツィガーヌなど。バロックは1つもありませんでしたが、どの曲もフィグールを大切に、とても具体性があり、はっきりとコパチンスカヤの意見が現れている。そんな演奏でした。 私はエネスクのソナタにとりわけ感動したのですが、土着の民族的な要素はまさにコパチンスカヤの真髄のようで、リズムも本能的に同化していて、しかもメロディの表現が魅力的で聞いていて本当にドキドキと胸の動悸が感じられる演奏でした。 ピアノのレシェンコも素晴らしかったです。 お客様も大盛り上がりで、本当に来てよかったと思うコンサートでした。 都会はいろいろな素晴らしいコンサートがあっていいですね。

エリ エリ

マタイ受難曲のクライマックスで、 イエスが十字架につけられ死ぬ直前に発した 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 という有名な言葉があります。 「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」 という意味だと福音書は伝えています。 非常にイエスの人間的な部分が見え隠れして、感動も大きい場面なのですが、 これには続きがあるのです。 マタイによる福音書を含む新約聖書には、旧約聖書に書かれたことがイエスの誕生により実現していく様子が描かれていますが、この「エリ、エリ・・・」の部分は旧約聖書の詩篇第22編から来ています。 詩篇においても最初は、「なぜお見捨てになるのか」と始まりますが、 わたしたちの先祖はあなたにより頼み、より頼んで救われて来た。 中略 主よ、あなただけはわたしを遠く離れないでください。 中略 あなたに賛美を捧げ、神を畏れる人々の前で満願の捧げものを捧げます。 中略 わたしの魂は必ず命を得 子孫は神に仕え 主のことを来たるべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵の御業を民の末に告げ知らせるでしょう。 …と神を賛美する句で終わっているのです。 人々は「エリ、エリ、」と聞くと、条件反射的にこの詩篇を思い出す人が多かったと思われるほど有名な詩篇のようです。 一見恨み節のようにも思える箇所ですが、そういった意味まで鑑みないといけないのですね。イエスが全てを受け入れたところと言えるのかもしれません。 余談ですが「エリ」は「エロイ」とも言うようで、スペインの友人にはエロイと言う名の人が何人かいたことを思い出します。 ちなみに今年の復活祭は4/21と少し遅めです。復活祭の頃になると受難曲にどうしても関心が向かいます。この一年は聖書を勉強し、少し解釈も前進したかも?しれないのでまた今年も受難曲を勉強していこうと思います。

ベートーベン

たまにニワカピアニストになるのですが、今はベートーベンのバイオリンソナタに挑戦中。 昔チェンバロの先生に「好きな作曲家は?」と聞かれて、思わず「ベートーベンです!」と答えたら「チェンバロで弾けないね。」と言われて気まずい沈黙が流れたことがあったのですが、私はそのくらいベートーベンが好きなのです。 久しぶりに弾いても、本当に楽しい。 起承転結がはっきりとしていて、キャラクターがあり、ストーリーテラーだなーと思います。 リズムの面白さも卓越していますね。 いい曲を書いてくれてありがとう!と言いたい笑。

ブランデン

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ブランデンブルク協奏曲略してブランデン。 オランダバッハ協会のプロジェクト「All of Bach」 、バッハの作品を続々と配信しています。とてもハイクオリティで、チェンバロ奏者による演奏などは奏者の自宅で行われているものも多く、それも中々興味深いです。 いろいろと見ていて中でも気に入ったのは、ブランデンの五番です。 とても生き生きとしていてライブならでは。 奏者が皆楽しそうなのもいいですね。

生きる

友美子からのメッセージ 小児脳腫瘍と闘った娘が教えてくれたこと 阿部妃代 著 文芸社 この御本は、岡山在住の方が書かれたもので、 お子様を病気で亡くされた時の事が記されています。 軽々しく感想を書くのもはばかられるのですが、 読んでいて、張り裂けそうな絶望や恐怖がひしひしと伝わってきました。 その中で行われる日常の営みなどもリアリティを持って書かれています。 生命の光や尊さ、友美子さんのように一生懸命生きるということ。 今生きている奇跡、精一杯何かをしなければ。 ・・・ 生きるとはどういうことなのでしょうか。 メイク ア ウィッシュという難病の子供たちの夢をかなえる団体のこともここで知りました。 http://www.mawj.org/ 希望を持つことの効果も大きく、 夢や希望がいかに大切か、そんなことも考えさせられました。 よろしければご一読ください。

チェンバロ装飾コンクール

何気なく「フランスクラヴサン協会」のサイトを見ていたら、 美術の学生を対象に「チェンバロの蓋を装飾するコンクール」というのができたそうです。 面白そうですね。 そうして色々な分野と協同して、古楽を盛り上げているのですね! https://www.clavecin-en-france.org/spip.php?article359

生活目標

二月三日。 節分ですね。 音楽をやっているとルーティンがあまりないので、二月の生活目標は何かルーティンを、 ということで、毎日ブログを書くということを目標にしたいと思います。 今日は倉敷で、「倉敷音楽アカデミーチェンバロ部門」の発表会をお聞きしました。 23組もの奏者の方々が、ソロにアンサンブルに演奏されていました。 みなさん楽しそうに演奏されていて、忙しい合間をぬって練習し、今日に向けて準備をなさったのだろうなと想像しながら聞いていました。 お客さんも多く、古楽が益々さかんになればいいなと思います。

音楽をする

音楽をするってどういうことなんでしょうか。 岡山に帰ってよかったなと思う事の一つにいろいろな職業、価値観を持った人に出会えるということがあります。 海外の方がいろいろな人に出会えるのでは?と思われるかもしれません。 留学生活は確かに多様な人種がいて、文化も違いますが、基本的に音楽を中心とした生活だったためまわりは音楽家ばかりで、やはり共通の価値観や習性を持つ人々の中にいたと言えると思います。 音楽家というのは特殊だし、周りからもそう思われているらしいと、なんとなく気付き始めるこのごろです。 音楽家として音楽をするということはどういうことか、 思いつくままに書いてみます。 技術を高める 感性を磨く 作曲家を生き生きと感じられるように勉強する 音楽を用いて有意義なひととき提供し、音楽の良さを感じてもらえる活動をする 音楽でお金を稼いで生活をする という感じでしょうか。 最後の項目が一番難しいのですが、 演奏会に関して言えば、音楽というのは心が弱った時にこそ必要、つまりちょっとした息抜きや気分転換になるべきもので、あまりに高価で聞けないようなものは本来ではないと思います。 でも、演奏会をするのはコストもかなりかかるのです。 呼んでくれるオーガナイザーがいなければ、コンサートは自分で企画しなければいけません。しかし、スポンサーを探すのは大変。フランスの先生もいつもスポンサー集めに奔走していたのを思い出します。でも日本では、あまりなじみの無い人にとっては「何、物乞い?!」くらいの衝撃を与えるようで注意が必要。。笑 ブランドのバッグや絵の様に所有できるものに、高いお金を払う人は多いと思います。 コンサートも「買う」という発想を持つ人がいれば、音楽会は成立します。 音楽はその場でなくなるものです。 でもブランドバッグを買う金額で、自分一人が所有するのではなく、同時に多くの人に喜びを与える可能性があることに投資するのも素敵ではないかと思うのですが。 いかがでしょうか。 やはり音楽ばかりやってきた私はずれていて、ヘンな事ばかり言っているのでしょうかね。