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3月, 2018の投稿を表示しています

ワイルドに

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最近ふとまたヨーロッパに行きたいと思うことがあります。 ヨーロッパの生活は基本的にワイルドなのです。 飾り立てることなく、でも有機的で力強い美しさがあります。 日本の生活は、便利で綺麗で装飾的すぎるかもしれません。 その生活に慣れすぎると、大切な感覚を忘れるかもしれないなと思ったり。 このように少し暖かくなるとなるべく外で過ごします。懐かしい思い出。

かぶりつき、かじりつき

土曜日は、二つの公演を拝聴、拝見しましたが、ぎりぎりまたは遅刻をしてしまい、空いていた席ということでどちらも最前列でのかぶりつきで見ることができました。 近くで見るというのは、エネルギーが間近に伝わって来てよいですね。 そして先日はロータリークラブでお話しをさせていただきました。紳士の皆様にチェンバロと留学生活、そして岡山に帰って音楽生活上で感じることなどについて聞いて頂きました。話すのが上手ではないので、ぼそぼそとしゃべるのみでしたが、暖かく聞いて頂き感謝です。このような機会を与えていただけとてもありがたいことです。 ミニ講座、チラシ、お話の原稿などなど、ここのところパソコンにかじりついています。そろそろチェンバロにかじりつかなくては。

ミニ講座終了しました

ミニ講座、マタイ受難曲をテーマにどうなることかと思いましたが、案の定というのか三時間超えの長丁場になってしまいました。。 ですが、じっくりとマタイに向き合い、バッハの人間観なども改めて感じることができ、少しはその思いをお伝えできたのではないか、と期待しています。 バッハは、弱さや後悔といった普遍的な人間らしさにあたたかい眼差しを向けた人だったと思います。それが人種や文化を超えて多くの人々を惹きつける魅力なのかもしれません。 この壮大なテーマに際して、朝から晩までマタイ漬けだったせいか、体重も3キロほど落ちました。ありがたい副産物です。

春と葬送

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春めいてきましたね。 もう来月には桜の季節。。 「今日のマタイ」は、マタイ受難曲から多く転用し、ケーテン候レオポルトの葬送音楽とした、カンタータBWV244a Klagt, Kinder, klagt es aller Welt です。 演奏共に素晴らしいカンタータですね!

発表会

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今日は倉敷音楽アカデミーチェンバロ部門の発表会に私のところへ来てくださっている方も出演なさるということで、時間の関係で前半部分だけですが拝聴してきました。 皆さんそれぞれに取り組まれていて、ソロありアンサンブルありで楽しそうでした。 生徒さんも素晴らしい演奏を披露され、お忙しい中熱心に研鑽を積まれる成果が表れていたように感じ、嬉しく思いました。私も頑張ろう! 今日のマタイのコーナー ガンバソロが美しい、バスのアリア「来たれ甘き十字架よ」です。

今日のマタイ

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今日のマタイのコーナー笑 「私はここ、あなたのみもとにとどまろうIch will hier bei dir stehen」です。 私はここ、あなたのみもとにとどまろう、 私を退けないでください。 あなたから離れますまい。 御心が傷つき破れる、このときに。 あなたの心臓が とどめの一突きに血を失うとき 私はあなたを この腕のふところにお抱き申しましょう。(磯山訳) 「今夜鶏が鳴く前に、お前は三度、私のことを知らないと言うだろう」というキリストの預言に対しペトロが「たとえご一緒に死ぬ羽目になろうとも、あなたを知らないとは申しません。」と打ち消した後に表れるコラールです。 大変美しいですね。

クープラン

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今年はフランソワ クープラン生誕350年の記念の年です。 私もそれにちなんだコンサートを行う予定ですが、たくさんの小品の中からピタッとくる順番で曲を選ぶのに一苦労しています。 クープランを敬愛したダジャンクールという作曲家の作品も組み合わせるつもりにしており、もうそろそろプログラムを決定したいところですが、なかなか進みません。。 マタイとクープランと、今度ある会でお話しさせていただく内容、雨と眠気が混沌とする春。 バッハのマタイ受難曲よりaus Liebe 愛ゆえに私の救い主は死のうとされます。 罪ひとつお知りになりませぬのに。 永遠の滅びと裁きの刑罰が 私の魂にのしかからぬように、と。 愛ゆえに私の救い主は死のうとされます。 罪ひとつお知りになりませぬのに。

残念すぎる

バーゼルのバロックオケであるLa Cetraと、前回の投稿でも触れたマグダレーナ コジェナが来月アジアツアーをするというのに、日本は含まれていないのです! なんということでしょう!!! これは不景気だからなのでしょうか? ソウルまで来るのに日本に来ないなんて、本当に残念です。 ソウルまで聞きに行っちゃおうかな。。。

バッハのコラール

バッハのコラールを弾いてみると、やっぱりすごいな、、とため息が出ます。 聞いている分には何気なく聞こえていても、いざ自分が課題を行おうとすると到底思いつかないなと思うことばかり。。 そういえば即興なども最近練習していないので、日常的に行わなければと反省します。 書かれたものを弾くことがいかに簡単かということ、それは音楽の本質のごく一部に過ぎないと改めて感じます。

マタイ受難曲

次回ミニ講座に向けて、マタイ受難曲を勉強していますが、その後復活するにしてもキリストが十字架に架けられてしまうという痛ましい出来事が、春先の冬が終わり辛い寒さが和らいでウキウキとしてくる季節に用意されているのはなぜだろうと考えてしまいます。 いろんな「なぜだろう」が渦巻いて、ちゃんとまとめるには壮大すぎるテーマだなと思います。 それにしてもバッハのマタイ受難曲が持つ力は大きいなと感じます。 人間の弱さ、それを包み込むような大きなものを、よく内容を知らずに聞いていた時から感じさせるそんな曲です。 下手な説明をすることで、それを聞いた方がその感動を減じることがないようにしないと。 …難しいテーマです。。