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12月, 2019の投稿を表示しています

ゴルトベルクのこと 其の五

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今日は2019年最後の日です。 また新しい年がやって来ます。 生活は何気ない日々の繰り返しのようでいて、自分の意思で、または意思に関係なく気づけば変化することもあり、変化しないこともある。 振り返ると変わらないようでいて、変化したことも多い一年だったように思います。 そうやって人生は進んで行くのかもしれませんね。 来年はどんな年になるのでしょうか。 さてさて、ゴルトベルクのスケールの大きさを感じるこの頃ですが、似たコンセプトの曲として、バッハは若い頃「イタリアの手法によるアリアと変奏BWV989」という曲を書いています。 1709年ごろつまりバッハが23.24歳の頃の作曲ではないかと言われていますが、この曲もなかなか美しいものです。 アリアと10の変奏曲が続きますが、これはアリアのメロディも活かして、拍子も4拍子を守り(第7変奏のみ12/8)安定感のある変奏曲なのです。 それに比べて「ゴルトベルク」アリアのメロディも変奏曲に出て来ないですし、拍子もいろいろで本当に独創的です。 従来の変奏曲とはかなり違いますね。 バッハの意図やいかに!? 良いお年を!

ゴルトベルクのこと 其の四

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ゴルトベルクは、バスの進行に基づいての変奏曲と以前に書きましたが、 バスの冒頭は ソ ファ♯ ミ レ シ ド レ ソ という、シャコンヌなどでよくある定型バスなのです。 このバスを用いた変奏曲として関連を指摘されている曲の一つに ヘンデルのシャコンヌ(HWV 442)があります。(クラヴサン組曲 第2巻) バッハのゴルトベルクより30年近く早く作られたのではと見られていますが、 これにはテーマになんと62のヴァリエーションが続き、バッハの30のヴァリエーションの倍以上です。でも一つが8小節と短いため、演奏時間は20分に満たないものです。 最後だけ(第62変奏)、カノンになっているところも似ているといえば似ています。 シンプルな作品で、私たちがいわゆる「変奏曲」としてイメージする典型的な作品だと思います。 音源を拝借します。

Merry Christmas!

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イエス様の産まれたイスラエルでは、日没から日没までを1日としていたそうなので、クリスマスは、24日の夜から25日の日没前までということになりもう過ぎてしまいましたが、メリークリスマス! この季節といえば、第九とメサイヤですが、先日カトリック教会で聞いたメサイヤとても雰囲気がよく素敵なコンサートでした。 クリスマスシーズンにゆったり美しいメサイヤを聞けるなんて楽しいことです。  「岡山はパラダイスだ」とおっしゃった方がいましたが、確かに色々な意味で恵まれた場所だと晴れ渡れるクリスマスの朝の空を見てもそう感じました。 素敵な音楽、温暖な気候、楽しむ人々、大切にしなければいけないなと思います。

クリスマス

この時期になるとヨーロッパのクリスマスを思い出します。 街中これでもか!というほど装飾を凝らすのです。 その装飾の概念は、ヨーロッパと日本は真逆と感じます。 日本は削ぎ落としていくことに美を見出しますが、 ヨーロッパは力の限り足していくのです。 美しさという点ではどちらも美しいと思うのですが、 装飾にかける情熱というのはヨーロッパの勝ちかもしれません。 もっと、もっと!その中で悪趣味にならないようバランスをとる、そのエネルギー、感覚を思い出さなくては。まさにそれが西洋の音楽でもある気がします。

ゴルトベルクのこと 其の三

曲の出だし アリア CMなどでもよく耳にする有名なアリアは、サラバンドのリズムに乗せてフランス式の装飾に彩られて進んでいきます。 「アンナ・マグダレナのための音楽帳」にもアリアは掲載されています。 ゴルトベルクの出版後、彼女自身が自分の音楽帳に書き写したのではと言われています。 余談ですが、、今では楽譜といえば、ヘンレ社やベーレンライター社から印刷され出版されたのを思い浮かべてしまいますが、当時は印刷も非常に手間のかかる大変なもの。 多くは手書きで写していました。だからこそ自分のノートに好きな曲だけ書き写しカスタマイズ出来たんだと気づきます。当然といえば当然の事実ですが、オリジナルの味わいがあっていいですね。 さてこのアリアのバスの進行が、この後の変奏曲の元になっていきます。 普通「変奏曲」というのは、最初のテーマのハーモニーだけでなくメロディも「変奏」されてずっと見え隠れする場合が多いのですが、このゴルトベルクでは、アリアのメロディとは無関係に変奏曲が展開していくのも一つの特徴と言えそうです。

ゴルトベルクのこと 其の二

なぜゴルトベルク変奏曲と呼ばれるようになったか、 それはフォルケルという人が書いたバッハの伝記によるようです。 フォルケルは、バッハの死の前年1749年に生まれ、1802年に大バッハに関する初の伝記を書きました。 まだバッハの息子たちの証言も得られる時代のこの記録は、非常に有益で有名なもので、あちこちで引用されています。 …伝記で紹介されている、ゴルトベルク変奏曲と呼ばれる由来となったエピソードに戻ります。 ロシア大使としてザクセン選帝侯領に駐在していたカイザーリンク伯爵は、不眠に悩ませることが多く、そんな時に隣の部屋に置かれたチェンバロで奏でられたものを聞くために、何か慰めになるような曲を作って欲しいとバッハに依頼したというのです。 奏者は、伯爵自身ではなく才能をかわれて伯爵家に住んでいた少年ゴルトベルク。 ゴルトベルクはバッハや、バッハの息子ウィルヘルム・フリーデマンに教えを受けることもあったほど素晴らしい奏者だったとされています。 これは素敵なエピソードですが、一般的には、楽譜にカイザーリンク伯爵への献辞がないこと、ゴルトベルクが当時14歳で、この大曲を演奏するには若すぎるとされたことなどから、真偽が問われています。 でも個人的には、献辞についてはさておき、現代の感覚で言えば、14歳であれば問題なく弾ける曲だと思いますし、 純粋で将来あふれる若者が弾くことを想定してバッハが書いたと思う方が、よりこの曲をみずみずしく捉えることができるので私はそうであって欲しいなと思います。

楽器について

今使っている楽器は、バーゼルで勉強中に私のところに来たもので、そろそろ10年になろうとしています。 この楽器ともいろんな紆余曲折があったのですが、 最近になって本当の意味で、この楽器の独特の個性、良さがわかってきた気がしますし、楽器の方も私に歩みよってくれている気がします。 チェンバロというのは一台一台異なる音やタッチを持ちますが、私の楽器も相当にユニークです。 「こうあってほしい」という理想に近づけようとしているうちにはなかなか思い通りにならないのですが、ありのままを見るようにして初めてその楽器でしか出すことのできない色を引き出すことができるのだと気づきます。 美しい楽器は他にもたくさんありますが、今ではおそらく他のどの楽器よりも、自分の表現ができるかもしれません。

ゴルトベルクのこと 其の一

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さてさて、これからコンサートまで、ゴルトベルク変奏曲のトリビアを時々お伝えしてまいろうと思います。 ご興味のある方は、どうぞお付き合いください。 「ゴルトベルク変奏曲」として有名なこの大作ですが、これはいわゆる通称で、バッハ自身がそう呼んだわけではありません。1741年の初版時には「二段鍵盤のチェンバロのためのアリアと種々の変奏曲」と書かれていました。 有名なアリアに30の変奏曲が続き、その後アリアに戻り終わるという独特の形式を持ちます。 当時としては、一曲が一時間を超えるものは類が無く、そう言った意味でも無二の曲なのです。 なぜではゴルトベルク変奏曲と呼ばれるようになったのかはまた次回♪

バッハシリーズvol.4

バッハシリーズvol.4「ゴルトベルク変奏曲」のお知らせ 1/26(日) 15:00から蔭凉寺(岡山市北区中央町10-28)にて 一般3000円 高校生以下1500円(全席自由)です。 岡山シンフォニーホールチケットセンター、ぎんざやプレイガイド、アルテゾーロ・クラシカ、などで販売中です。 よろしくお願いいたします。