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親指

もうすぐ夏至ですね。ヨーロッパではこの季節夜10時近くまで明るく、川辺で涼んだりと外で楽しく過ごしていたことを思い出します。 さて私は親指を負傷してしまい、親指がとても使いにくいのですが、 では親指を使わずチェンバロを弾いてみようとして、大切なことを思い出しました。 チェンバロでは基本的に親指はあまり使わないのが、当時のやり方としてふさわしいと言われています。そうすることで、アーティキュレーションやアクセントを明瞭にすることができます。親指を負傷したことで、その基本に立ち返ることができ、またどうしても親指を使わなければいけない時はどういう時なのかということを考えることができました。 複雑なフーガなどの多声音楽を別にすると、親指を使うのがふさわしい時、それはレガートが求められている時だと思います。 レガートと言うのは、普段何気なく用いられている言葉ですが、バロック時代の人々にとってはかなり意図的な、そしてとても大切な表現であり、親指を使うという事は特別なことだったのだと改めて思いました。

多様性

今は考える時間は沢山あり、世の中で沢山のことが起こっています。 差別の問題も目にとまります。 差別は、他人が自分とは異なるが故に起こることだと思いますが、 誰もが固有の資質を持っています。 それぞれが無理をすることなく、良さを生かして幸せに暮らすためにはどうすればいいのでしょう。 認めあい、助け合うことができれば一番ですね。 でもまずは否定しない、ということなのかもしれません。 そのためには価値観が違いすぎる場合、時には離れることも必要かもしれません。 しかし、相手とは異なる自分の意見をぶつけるということは、建設的でもあるはずです。 それと否定の違いはなんなのか。 自分が伝えたら、相手の声にも耳を傾けること、なのでしょうね。 全ては聞くことから始まるかもしれません。