ゴルトベルクのこと 其の二

なぜゴルトベルク変奏曲と呼ばれるようになったか、
それはフォルケルという人が書いたバッハの伝記によるようです。
フォルケルは、バッハの死の前年1749年に生まれ、1802年に大バッハに関する初の伝記を書きました。
まだバッハの息子たちの証言も得られる時代のこの記録は、非常に有益で有名なもので、あちこちで引用されています。

…伝記で紹介されている、ゴルトベルク変奏曲と呼ばれる由来となったエピソードに戻ります。


ロシア大使としてザクセン選帝侯領に駐在していたカイザーリンク伯爵は、不眠に悩ませることが多く、そんな時に隣の部屋に置かれたチェンバロで奏でられたものを聞くために、何か慰めになるような曲を作って欲しいとバッハに依頼したというのです。
奏者は、伯爵自身ではなく才能をかわれて伯爵家に住んでいた少年ゴルトベルク。

ゴルトベルクはバッハや、バッハの息子ウィルヘルム・フリーデマンに教えを受けることもあったほど素晴らしい奏者だったとされています。

これは素敵なエピソードですが、一般的には、楽譜にカイザーリンク伯爵への献辞がないこと、ゴルトベルクが当時14歳で、この大曲を演奏するには若すぎるとされたことなどから、真偽が問われています。

でも個人的には、献辞についてはさておき、現代の感覚で言えば、14歳であれば問題なく弾ける曲だと思いますし、
純粋で将来あふれる若者が弾くことを想定してバッハが書いたと思う方が、よりこの曲をみずみずしく捉えることができるので私はそうであって欲しいなと思います。


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