ショパンコンクール
急に肌寒くなりました。
最初のうちはあまり興味を持っておらず、始まったことも知らなかったほどですが、snsに影響されてショパンコンクールの配信を観るのにすっかりハマってしまいました。
出場者のレベルの高さは驚くばかり、若い素敵な演奏の数々、すっかりエンタメとして楽しんでしまっていますが、ふと我に返ります。
とりわけ競うことからほど遠いショパンの、現代のピアノでの演奏をしかもYouTubeで視聴しワクワクしているワタクシ。
古楽的立場からは大きな矛盾があるような気もするのですが、一体これはどういうことでしょう。
人生とは妥協しながらその中に楽しみをみつけるものなのだと自分を納得させてみたり。。
しかしもう少しクールな視線で視聴を進めていくと、ショパンの演奏にアーティキュレーションをつけているものは私が聞いた限りなく、つまりレガートかノンレガートのどちらかで微妙な「隙間」が皆無であることに気づきます。
ショパンはかなりバロックの延長にあると感じていますので、多少の隙間もないことには違和感を覚えます。
しかしこの違和感を共有できる人は少ないかもしれません。もちろん私にはショパンの演奏の正しさなど論じることはできませんが。
YouTube等の隆盛で未来のピアニストたちは益々他人の演奏に影響されてしまうでしょう。素晴らしいものを聞かせていただけるありがたいツールでありますが、自分の直感や内面から湧き出るものを大切にする教育はさらに必要になると思ったりもしました。
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