チェンバロのイメージ

チェンバロって貴族的な楽器というイメージを持たれがちですし、私もよくバロック時代に王侯貴族が聞いたり弾いたりした楽器という説明をすることがありますが、
私自身はチェンバロが、きらびやかで雅な楽器というイメージを持っていないことに気づきます。

それはなぜかといろいろ考えてみたところ、チェンバロとの出会いが関係しているのかなと思います。

私が初めてチェンバロに触れたのは桐朋の古楽実習の授業でした。
桐朋は最近ようやく建て替えられたらしいですが、当時は古くて(といってもアンティークな古さではなく)薄暗いなんの変哲も無い建物で、古楽教室はその中でも奥まったところにあり、あったチェンバロは最低限の装飾であちこち傷だらけですし、特に美しいと思わせる要素はゼロでした。これは余談ですが、そのせいか、学生たちはチェンバロが高価な楽器と知らなかったのです。「チェンバロって結構高いらしい!」と盛り上がった日が懐かしい。

その古楽実習で、初めて指名されて弾いたのはクロマティックファンタジーとフーガですが、鍵盤の幅もタッチもピッチも違いミスだらけの演奏。「あなた、ピアノだったらちゃんと弾けるわけ?」と先生からお叱りを受けた記憶がうっすらとあります。そこから猛練習が始まったわけですが。。

そんな優雅さとはかけ離れた出会いからか、「チェンバロ素敵ね!」と言っていただくことは多いのですが、好きでも素敵とは違うような、、とあまりそういう実感はなかったのです。

最近になってチェンバロは多少優雅な楽器なのかもしれないと思うこともありますが、でも私にとっては、世話は面倒でデリケートな面はありながら、第一には表現力のある力強い楽器で、そしてそれこそがチェンバロの美しさなのです。それはずっと変わらない私のチェンバロのイメージです。


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