バロック時代の作曲家入門1 ヨハン=ゼバスティアン・バッハ

今日から時々バロック時代の作曲家や時代のあれこれについて書いてみようと思います♪

まず、なんといってもバッハですね。



バッハは当時の多くの音楽家と同じように音楽を生業とする家系に生まれました。なので音楽家にもたくさんのバッハ家の人々がいるわけですが、ご存知ヨハン=ゼバスティアン・バッハが一族の中の頂点をなすと言ってもいいかと思います。生まれたのは1685年。ドメニコ・スカルラッティやヘンデルと同い年です。

いまでこそ「神」のごとく崇められているバッハですが、当時決して大スターだったわけではないのです。どちらかというと質実剛健、地味な存在でした。弟子や周りの愛好家からは高い尊敬を集めていましたが、むしろ息子たちの方が世俗的な成功を収めたと言われています。

一般的なイメージではバッハと言えば教会音楽と思われているようです。確かにバッハは教会で演奏するための曲、カンタータやオルガン作品をたくさん作曲しました。
でもバッハはもうひとつの側面として、宮廷やカフェで演奏する親しみ深くそして華やかな作品を多く書いています。
チェンバロではどちらかというとそのような宮廷で演奏された華やかな作品を演奏しますので、私にとってバッハは決して難しいというものではなく、もしろ気負いなく演奏できるものが多い気がします。

バッハは非常に人間的な人でした。生徒とけんかをしたり、出来の悪い弟子を罵倒したり、教会に禁止されていたのに女性を引き入れたりと、決して「聖人」としてではないエピソードも沢山残っています。そのようなエピソードから感じられるような人間の生き生きとした感情が曲に反映されているように感じます。

同時にたゆまぬ努力を怠らないバッハ、推敲に推敲を重ねて作品を仕上げるバッハの「地道さ」を見ると、私たちがイメージするようなひらめきの「天才」というよりは、積み重ねによって技術を磨き、個性あふれる作品にまで昇華させることができた人だったことがわかります。

最後に、コンサートでお話して一番「ほー」と関心を集めるエピソードとしてバッハは子だくさんだったということがあります。二人の奥さんの間に20人の子供を作りました。
そのことから、また寄宿舎に住む沢山の生徒がいたことからもバッハはきっと騒音の中、日々の仕事に忙殺されながら数々の名曲を生み出したのだと想像できます。

少しでも「人間」バッハのエピソードを感じていただければうれしいです。

次回はクープランの予定です☆




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