バロック時代の作曲家入門編2 クープラン

今日はランソワ・クープランです。

エレガント!
                                             

1668年、フランソワ・クープランもバッハ同様音楽家の一族に生まれました。
フランソワの伯父さんのルイ・クープランも有名な作曲家であり、チェンバロ奏者、オルガン奏者でルイ14世の宮廷に仕えていました。
とりわけチェンバロのための作品を多く残しています。

奇人変人の多いとされる、フランスのバロック時代の中でフランソワ・クープランはきわめて謙虚で勉強熱心、人望を集める人柄だったと言われています。
当時のフランスでは対立と憧れの対象であったイタリアの音楽と、フランスの音楽のそれぞれのよいところを認めてクープランは音楽に取り入れました。このことからも公平でバランス感覚に長けていた人であったことが伺えます。

ちなみにフランスのこの時代は、暴力沙汰を起こしたり、高慢で気性が荒い一癖ある音楽家が数多くいたようです。知り合いにいれば困ってしまうけれど、多様な人々が共存した時代だからこそ、素晴らしい音楽が生まれたのだと個人的には興味深く感じます。

さてそんな誉れ高いクープランですが、私はクープランが温かい人格者だったかどうかひそかに疑いを持っているのです。
クープランは自身が作曲したほとんどのチェンバロのための作品にタイトルをつけているのですが、かなり辛辣なものが多く、それを見ていると結構な皮肉屋だったのではないかと思わせられます。暗に社交界の人物等を表したものが多く、それは「音楽による肖像画」などと言われています。

クープランはクラヴサン曲集第3巻の序文で「自分の書いたとおりに装飾を弾いてほしい。省いたり付け加えたりして曲を台無しにしないで!(意訳)」と装飾音の奏法について釘をさしているのですが、自由に即興的な装飾をつけるのが当たり前だった時代においてこの発言、美的こだわりの強い人だったと言えるでしょう。
「クラヴサン奏法」という教則本も書いています。
趣味の良さと現実的思考そしてややシニカルな視点、まさにフランス人的な特徴を備えた作曲家ですね!


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