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様々なコンサート体験を通して

 多少秋の気配も感じるような、感じないようなこの頃です。入道雲をみかけたので、やはりまだ秋は気のせいでしょうか。 近年いろいろなコンサートを聴く中で、技量にはあまり関係がなく、素敵だとか、練習の過程に尊敬の念を感じたりと心温まる思いをすることがほとんどだったのですが、本当に久しぶりに(とても聴いていられない、これは音楽に対する冒涜なのではないか)と感じたものがありました。 もちろん私がそう感じただけで、会としても意義深い素晴らしいもので、多くの方が喜んだものであったことは言うまでもありません。 ですので批判する意図は全くなく、それはこの投稿の主旨ではないことをご理解ください。 ただ、私はそのように怒りを感じた自分自身に心底ホッとした、と言ったらおかしいかもしれませんが、まだ自分には音楽家としてまた古楽奏者としての良心が残っていたのだと感じる機会だったのです。 年とともに、怒るのも面倒くさくなったり、嫌なことを記憶する能力も衰えて、(ま、なんでもいいわ)となりがちです。よく言えば丸く、悪く言えば鈍くなっている自覚がある中で、演奏に怒りを感じたというのは私の中では嬉しいできごとでもありました。 フランスの先生はいつも「毒がなければいけない」と言っていましたが、自らの「毒」ももっと大切にしていきたいです。(ほどほどに)